
本日はDDに関する考察です。
そもそもDDってなに
皆さんはDDという言葉を知っていますか?DDとは「誰でも大好き」を意味する言葉で、「Daredemo 」のDと「Daisuki」のDを組み合わせた言葉です。
オタク以外には聞き慣れない言葉かもしれませんが、逆にオタクであれば海外でも通用する言葉です。
そんなDDは相手を侮辱する言葉としてよく使われます。
一方、対となる言葉として「単推し」があります。
字面通り一人しか推さないという意味になります。
まあ「人生でお前を一生愛し続ける」とかそういう感じです。とっても嘘くさいですね。
DDのなにが批判されるのか
DDがなぜ悪く言われるのかを考えてみますと、「とりあえずイチオシの演者はいるけどそれが刻々と変わっていく」ということなのかなと思います。
パワポのスライドで挿入した図の背面から前面までの順番がころころ変わってスライドとしては常にまったく別のもの、みたいなイメージでしょうか。
つまるところ、オタクとしての方向が定まっていないように見えるのが「単推し」の方々から「一人を愛し続けるのが偉い」と思っている人たちから上から目線で批判されるのかなと。
DDにいいところはあるのか
この問に対する筆者の答えはイエスです。
いろんな現場を知っている分、色々楽しみ方を知っていますし現場に合わせる柔軟性を持ち合わせている。
更に色々な現場を知っている分ネットワークをある程度構築しているので「現場にオタクを呼び寄せる」ことができるんです。(ex.ガルニデTOやこのみんTO等)
各現場にとってDDとは忌み嫌うべき存在なのではなく、逆に歓迎すべき存在なのではないでしょうか。
DDだって現場ごとにしっかり推している
「単推し」と「DD」の推し方に優劣があるのでしょうか?
「DD」だってその現場では立派な一人のオタクです。
ただ単に通う現場が多いだけで推し方に大きな相違点があるとは思えないんですよね。
たまに「俺はこのぐらい金を落としているんだ」みたいな残念な人を見かけますが、大事なことは現場に来ることであってどれだけ金を落とすかではないんですよね。
1人で50万積んでも100人が1万ずつ積むのには敵わないってやつです。
むしろ「単推し」にこそ「DD」を受け入れる広い度量が求められているのではないでしょうか。
ちなみにこのエントリを書いた筆者は「単推し」です。異論は認めません。
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